生きる目的が見つからず悩む過程も重要

生きる目的が見つからないと、焦ってしまう時期が誰にでもあるのではないかと思います。私自身も、二十代の頃はずっと「自分はいったい何のために生きているのだろう」と考え続けていました。

周りの友人たちが、仕事や趣味や家庭を通して充実した顔をしているのを見るたびに、自分だけが取り残されているような気持ちになったものです。

目的が見つからない自分は、何かが欠けているのではないかとさえ思っていました。

 

けれど今振り返ってみると、あの目的を探し続けていた時間そのものが、無駄ではなかったのだと感じています。

むしろ、あの悩みがあったからこそ、今の自分の考え方があるのではないかと思うのです。

目的が見つからないというのは、裏を返せば、それだけ真剣に自分の人生と向き合っているということでもあります。適当に生きていれば、そもそも目的について悩むこと自体がありません。

 

悩むということは、自分の人生を大切にしたいという気持ちの表れなのだと、今なら素直にそう思えます。

当時の自分にそう伝えてあげられたら、少し楽になれたかもしれません。

私が目的探しに苦しんでいた頃、いろいろな本を読み漁ったり、著名な人の講演を聞きに行ったりもしました。しかし、明確な答えが見つかることはなく、むしろ焦りが増すばかりでした。

 

そんなある日、友人と何気ない会話をしている中で、「別に今すぐ答えを出さなくてもいいんじゃない」と言われたことがあります。その一言が、なぜか妙に心に残りました。

それまで私は、目的というものは見つけるべきもの、決めるべきものだと思い込んでいました。

しかし、もしかしたら目的というのは、探している過程の中で少しずつ形になっていくものなのかもしれないと思うようになったのです。

 

実際、今の自分がやりがいを感じていることの多くは、当時「これが目的だ」と意気込んで見つけたものではありません。むしろ、目的を探しながら日々を過ごす中で、偶然出会った小さなことの積み重ねだったりします。

例えば、悩んでいた時期に始めた日記のような習慣が、今では自分の考えを整理する大切な時間になっています。目的を探すためにやっていたことが、結果的に自分にとって意味のあるものへと変わっていったのです。

 

もちろん、今でも「これが自分の生きる目的です」と胸を張って言えるようなものがあるわけではありません。

それでも、以前ほど焦りを感じなくなったのは確かです。

目的が見つからないという状態を、以前は「まだ何もない状態」だと捉えていました。

でも今は、それも一つの過程であり、人生を構成する大切な時間だったのだと思えるようになりました。

 

もし今、目的が見つからずに悩んでいる方がいたら、その悩んでいる時間そのものを、あまり否定しないであげてほしいと思います。

悩むことができるというのは、それだけ自分の人生に真剣であるという証でもあるからです。

焦って無理に答えを出そうとすると、かえって苦しくなってしまうこともあります。答えは、探し続けている中で、ある日ふと見えてくるものなのかもしれません。

 

私自身、まだ完全に迷いがなくなったわけではありません。

今でも時々、ふと立ち止まって「自分はこれでいいのだろうか」と考えることがあります。

けれど、そうやって考え続けること自体が、生きているということなのではないかと、最近は思うようになりました。

悩みながら進んでいくことも、立派な人生の歩み方の一つなのだと思います。

 

もし誰かがこの文章を読んで、少しでも肩の力が抜けたなら嬉しいです。目的が見つからないことに悩んでいるあなたは、決して間違っているわけではありません。

むしろ、そうやって真剣に悩める人だからこそ、いつか自分なりの答えにたどり着けるのではないかと、私は思っています。

焦らず、自分のペースで、その過程を大切にしていってほしいと願っています。

参照サイト=生きる目的を見つける

生きる目的というものは、もしかしたら最初から一つに決まっているものではなく、生きていく中で少しずつ育っていくものなのかもしれません。

だとすれば、今悩んでいるこの時間も、その目的の一部を、すでに形作り始めているのだと思います。